医療施設の行方

医療施設の行方を考える 栗原 嘉一郎

 (「医療福祉建築」2006年1月)

はじめに

 今日建設される医療施設の建築的水準は全般的に極めて高くなった。一定の到達点に達したかの感さえある。
 しかしながら、医療施設に関わる関連分野や社会的諸条件が日々変化を続けているのを目にするとき、施設のありようも変わっていくと考えざるを得ない。関連した諸説が飛び交う中にあって、本稿では医療施設の行方について、変化の要因になると思われるいくつかのアイテムを軸として整理展望してみたい。

診療技術の進歩がもたらすもの

 まずは診療技術の進歩である。端的にいえば、身体をあまり傷めつけない、人に優しい低侵襲診療への移行である。
 検査の面では、画像診断におけるCT・MRIの性能の向上が目覚ましく、短時間機器の中に横たわるだけで体内の病変部を正確にとらえられるようになったし、いずれは空港のゲートのように機器の間を通り抜けるだけでよくなるという。集積回路の埋め込まれた小さなカプセルを飲み込むだけの胃カメラ検査も開発されたし、小腸についても同じくカプセル型内視鏡が開発されたようだ。カテーテルを使わない心臓血管造影や微量の採取、更には機器に触れるだけですむ血液検査法等々枚挙に暇がない。
 治療の面では、身体の負担が小さくてすむ内視鏡手術の発達が著しい。その延長上にある高度のロボット技術による精巧な手術は患者の負担を一層少なくしつつ、ナノテクノロジーの登場によって更なる進歩が期待される領域だ。開腹を要しない心臓治療法も報じられている。
 診療面におけるこうした動向は、入院治療への負荷を減じる方向に作用する筈だ。入院期間の短縮はもとより、少なからぬ患者について入院治療から外来治療への移行を可能にする。手術も日帰りで済むものが多くなり、日帰り手術部門が一般化し外来部門に降りてくる。独立した棟を持つケースも出てくるだろう。
 抗癌剤点滴の日帰り治療等、通院による治療センターなども従来の外来診療部の概念を変えることになる。病院外来部は分離独立を含めて、様々に変化することになる(本誌147号)。

診療機器の小型化ならびに遠隔操作技術の発達がもたらすもの

 診療機器の側から見ると、生理検査機器類を含めて電子医療機器類が次々と小型化・ポータブル化しているのが目立つ。聴診器なみの超音波画像診断装置も登場している。放射線照射機器にしても、陽子線治療装置のような大型装置の登場もあるものの総じて同様の傾向だ。透析機なども小型化してきた。重く大きく高価なために中央に集中配置し患者に来室を求めてきた中央診療機器の一部は外来診療部や病室に、一部は家庭にと分散していく。前項と同様、中央診療部の比重の相対的減少につながることを意味しよう。
 加えて機器とスタッフを結ぶテクノロジーが進歩して、遠隔操作ならびにデータ類の電送を可能にした。これにより系列の病院間あるいは大学病院と過疎地の中小病院の間などで、CTやMRI画像・心電図・血液検査の値等々、諸データの電送によるやりとりが可能になった。最近ではブロードバンドの普及によって脳の鮮明な立体画像を動画で送受信することも可能になったという。ここまで来れば診断にとどまらず、高度な治療を遠隔医療によって行うこともできるわけだ。専門医が地球の裏側の患者の手術に成功したニュースも報じられている。集約化を避けられなかった高度医療の一定部分について、広範囲にわたる平準化を可能とする点で大きな意義があろう。
 遠隔医療のひろがりは家庭にまで及ぶ。必ずしも病院に行かずに在宅のままでもよい患者が出てくることになる。小型化した検査機器類を自宅に置いて、パソコンを通して病院の医師にデータを送れば直ちに的確な診断を得ることもできる。血圧や心電図の回線を病院のナースステーションにつないでおけば、家庭が病院の一部になる(知多厚生病院で既に実施)。つまり、小型機器類に装備されたコンピュータが患者の様子をリアルタイムにモニターしてそれを遠方の医師と結ぶことができれば、少なからぬ患者が病院施設の束縛から開放されることになる筈だ。

情報化に進展がもたらすもの

 上記IT化の進展は患者に対する医療情報の開示につながる。第一に電子カルテの公開への流れである。電子カルテの公開は、診療情報を医師と患者で共有することを意味するから、データに基づくインフォームドコンセントによる説明を通して患者は常に選択を迫られることにもなる。選択の自由を得ると同時に、半分は自己責任となる(成人病といわず生活習慣病といわれるようになってきたのは象徴的なことといえる)。セルフケア社会の誕生である。
  患者は自己責任を果たすべく、疾病や治療に関する情報の吸収・学習に励むことになる。健康・医療に関する出版物は山をなしているし、製薬企業は薬の効用や副作用に関する情報を、医療関連機関は癌等の治療法等に関する情報を、それぞれホームページ上に出し始めている。病院の患者図書室も充実の方向だ。情報量は豊富になり、患者の知識水準は上がらざるを得ない。
 加えて個々の病院の評価につながる情報公開も始まった。定着してきた病院機能評価制度や病院格付け会社、更には一般ジャーナリズム等による様々な基準による病院の客観評価と公表への流れである。患者が己の疾病の治療について高い成績を上げている施設の所在を知り、そこに押しかけるようになるのは当然だ。それは必ずしも大病院とは限らない特定病院の特定診療科ということになる。
 情報に基づく患者の選択行動にさらされる中、評価が低い診療科あるいは病院は淘汰されることになる。漠然たる大病院指向の時代は終り、医療機関はそれぞれ特色を出して競うことになる筈だ。PETをはじめとする高度な先端機器などをセンター化する動きなどもその一つの形であろう。
 換言すれば患者の選択が医療機関のありようを変えるのであり、漫然と一式揃えただけの総花的病院は色褪せていくのではなかろうか。

セルフケア社会の到来とそれを支えるもの

 セルフケア社会とも言うべき状況が進む中、家庭用の医療機器類の開発は大きな支えとなる。家庭で健康状態を容易に継続的にチェックできる機器、そしてそのデータ状況とインターフェイスを持つ家庭設置可能の医療電子機器の開発である。血糖値の自己測定器、パソコンによる体脂肪値や血圧の常時管理、運動量を常時チェックする腕時計型の機器、ポケットに入る携帯型心電図計等々、開発が続々と進むとともに、、これらを健康管理システムとして携帯電話に取り込むことも可能になったようだ。ウェアラブルな機器の開発、ひいては寝ているだけで呼吸と心拍数をモニターする圧力センサーマットや生化学検査機能を組み込んだトイレ等々、住宅の整備を通して意識せずに診療を受ける状態を創り出すユビキタスタス診療への模索等も始まっている(文1)。
 病院の機能は家庭との関わりにおいて見直しを迫られると考えざるを得ない。地域も同様である。病院から地域に流れ出てくる医療サービス(ヘルスケアサービス)の受け皿としての施設が地域に求められる。複数の診療科が寄り合ってビル内に診療モールを形成する事例なども増えてきた。診療所の役割は大きいと考えるが、この流れを受け止め損ねればドラッグストアやコンビニが受け皿として名乗りをあげるかもしれない。

文1:村瀬澄夫「遠隔医療からユビキタス診療へ」新医療、2005年2月号、エム・イー振興協会

規制緩和からダイナミックな再編成へ

 以上の流れとも関連して医療に係る規制緩和を求める声が高くなってきた。
 医療に係る現在の様々の規制は、戦後の復興期において厚生省が国民に一定水準の医療を平等に与えることを基本理念として作られたものだが、高度成長を経て社会が成熟期に入った今日においては、ただ平等性だけを唯一の理念とするのではなく、医療の提供体制に一定の競争原理を導入することによって、もう少し自由でダイナミックな発展を促すべきではないかとする考え方である。混合診療の考え方も出されている。目下のところかなり抵抗が大きいようだが、既に決まっている兼業規制などを突破口として、規制緩和は徐々に進むに違いない。
 病院経営に、保険業・医療事務代行業・医療経営コンサル業・病院寝具製造業・病院給食業・医療機器製造業・情報機器ネットワーク業・警備業・流通業・ホテル業・フィットネスクラブ業・温泉旅館業等々が参入して来て、それぞれ特徴のある施設展開をする可能性について述べた米本倉基氏による興味ある論(文2)もある。
 公的病院に対してPFI方式の導入も始まった。今のところ診療・看護分野以外の周辺サービス分野への参入に限られているが、民で出来ることは民でという考えに沿えば、管理部門以外のコア部分の業務についての参入もないとはいえまい。加えて、WTOに対する自由化についての約束に基づき、外資系の参入も拒めなくなる筈だ。治療成績の高さや高質のサービスを掲げて米国のチェーン・ホスピタルが入ってくるかもしれない。そうなってくれば、病院の姿はよりダイナミックに変わらざるを得まい。
 3年ほど前、来日した米国の病院建築家ジョージ・マン氏に会った折、日本の多くの病院を見て歩いての感想として漏らした言葉は「どこも同じであまり面白くない。日本の文化はホモジニアス・カルチャーだ。アメリカはもっと面白いことをいろいろやっている。もう少しダイナミックにやればよいのに。」であり、頷かされたのであった。
 尤もこうした自由な展開を予想するとき、他方において、「自治体あるいは自治体連合が担保すべき役割として、地域内の公的病院の持っている各科を一つにまとめて公的セクターを作り、医師・看護師を集めて24時間体制で救急対応を含む診療を提供する。すなわち住民の命に関わることについてはセイフティーネットの構築を保障することが肝要(文3)」とする視点は極めて重要であり、いわば上記と一対のものとして欠かせないものと考える。

文2:西村周三監修「医療ビッグバン、第6章」1997年12月、日本医療企画
文3:黒川清「これからの医療と医療政策」新医療 2004年8月号、エム・イー振興協会

建築人の役割

 施設のありようは、ソフトあってのハードであり、ソフトの変容・発展に従うのが基本だが、その方向が見える以上、それに沿った施設像の可能性をできるだけ魅力的な形で提示し、それによって今後のありかたを関係者とともに考えるのは建築人としての責務であるように思われる。一見成熟して行き詰まっているかに見える昨今ではあるが、高齢社会の進展ともからんで、医療施設のありようには今後かなり大きな変化が、換言すれば大きな可能性が待ち受けているように思われる。

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